2010年に入って初めて「きままに出かける」機会を得た。
この日は海の景色が見たい気分だったのと、呉方面に来る用事があったのとで「安芸灘とびしま海道」にやって来た。

 「安芸灘とびしま海道」は正式には「安芸灘諸島連絡架橋」という、現時点7つの橋で本土と安芸灘諸島を結ぶ連絡橋の愛称で、下蒲刈島・上蒲刈島・豊島・大崎下島・岡村島が、これらの橋のお陰で本土と陸続きとなった。

私が子供の時分には、フェリーや水中翼船が盛んにこの海域を往来していたものだが、今は昔・・・ε-(´・`)である。
  
  安芸灘大橋(1号橋)
この橋の区間のみ有料道路となっている
 
本州(広島県呉市)と下蒲刈島の間に架かるこの1号橋は、橋の規模も最大で、この橋と豊島大橋(3号橋)は2本の主塔を持った「吊橋」となっている。

また「安芸灘とびしま海道」全線において料金所があるのはこの橋のみであり、島嶼部間の移動は無料だが、本州に渡るには料金が発生するというシステムになっている。
通行料金は700円 ← 高い w( ̄o ̄)w

ちなみに補足すると、いずれの橋も本州側の地点からでは撮影がしづらく、島側からの方が撮影ポイントを見つけやすい。
  
 
蒲刈大橋(2号橋)
このトラス橋は私が子供の頃から既にあった
であいの館(上蒲刈島)
ここは展望良し
ちなみに・・・蒲刈大橋は1979年に完成している。下蒲刈島と上蒲刈島(いずれも呉市)を結んでいる。

2年前までは、上蒲刈島までしか陸路で行くことが出来なかった。だから、上蒲刈島までは以前興味本位で来た事が数回ある。 
 
豊島大橋(3号橋)   豊島からの野呂山の眺め
2008年11月、上蒲刈島と豊島(とよしま)との間に上写真の「豊島大橋」が完成し、豊島・大崎下島・岡村島は晴れて本州と陸続きとなった。
これらの島々は離島の立場から開放されたわけだ。
  豊浜大橋(4号橋)
このトラス橋は1992年に完成したそうな
豊島から豊浜大橋を渡ると大崎下島(広島県呉市)。ミカンで有名な島。

4〜7号橋は1998年までには既に完成していたようだが、上記の豊島大橋が未完成であった為に陸路では来ることが最近まで不可能だった。
ゆえに完成して10年以上も経っていながら、私も昨年まで訪れる機会に恵まれていない。 
  
平羅橋(5号橋)
分類上「PC斜張橋」とのこと
大崎下島(広島県呉市)と岡村島(愛媛県今治市)の間の御手洗(みたらい)瀬戸を、2つの無人島を挟んで3つの橋で結んでいる。

ちなみに「平羅」は「へら」と読む。
  
  中ノ瀬戸大橋(6号橋)
分類上は「ニールセンローゼ橋」
ちなみに5〜7号橋、平羅橋・中ノ瀬戸大橋・岡村大橋の区間は「安芸灘オレンジライン」という愛称が付けられている。確かに収穫された柑橘類を運ぶ軽トラックをよく目にする。   
岡村大橋(7号橋)
こちらも「ニールセンローゼ橋」
晴れ間も覗く時間帯も少しはあったが、概ね曇り空の1日だったのが残念。   
岡村島は愛媛県に属する 岡村大橋が県境
さて、ついに岡村島に上陸。
愛媛県今治市に属する島で、これでもう「今日は今治に行った(=´ー`)ノ」と言ってもあながち嘘をついたことにはなるまい。
 オレンジラインを一望
岡村島で一番有名なのはフジテレビの長○翼アナウンサーみたいだが・・・
未だに離島の色合いを強く残し、最果て感もたっぷりの「瀬戸内の島」を実感させてくれる島である。

とりあえず観音崎に向かう。
県道は観音崎の付け根をショートカットして岡村の集落に向かうが、県道から観音崎まで遊歩道が整備されている。
スイセン コンクリートの階段を登る
救世観音堂    しだれ梅
「救世観音堂」は、第三代飛騨甚五郎が釘を使わず一切を楔で留め建立したお堂で、大同年間806年)に弘法大師が一刀彫りをしたといわれる救世観音像が秘物として安置されているそうな。

観音崎一帯は瀬戸内海国立公園の領域となっており、周辺の島々や四国・高縄半島などの眺めが良い。
 
高縄半島・今治方面の眺め   うっすら高縄山
     
今治方面や、菊間の石油タンク群が海の向こうに割と間近に見えるが、陸路で行こうと思えば尾道から「しまなみ海道」を経由して3〜4時間は楽にかかるのだ。
愛媛県に属し、これまで「離島」だの「僻地」だの言われてきた漁業とミカンの島だが、連絡架橋が出来て広島が随分近くなった。しかし愛媛県という枠組みで語れば、依然として離島なのかもしれない。
   
     
    ナガタニ展望台に行く
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